山水画のような風景が広がる佐賀県・伊万里の大川内山へ。江戸時代より鍋島藩の御用窯として歴史を歩んできたこの焼物の産地のブランディングに向け、年に一度初秋に行われる登り窯焚きを取材しました。
 三方を山に囲まれ四季折々に風情がある大川内山には国内外から観光客が訪れていますが、御用窯時代は、幕府や諸大名への献上品を生み出す最高峰の磁器製造技術を門外不出とするため、関所が設けられた閉ざされた土地でした。廃藩置県を機に藩用としての歴史は幕を閉じましたが、焼物の献上という大川内山ならではの文化を継承するために、現在でも江戸時代と同様に登り窯を使って瓶子をつくり、全国の名城所在地などに献上の儀を行っています。
 登り窯焚きは、現代のガスや電気窯による制作と比べると膨大な手間と時間を要し、湿度が影響を及ぼすため気候条件にも仕上がりが大きく左右されます。当日の天気は曇り。午前10時過ぎに神事とともにいざ火入れが行われましたが、登り窯内部の温度はゆっくりと上げていかなければならず、窯焚きの始まりは意外にも静かなものでした。日が変わった頃、窯の前に用意された大量の薪を焚べる頻度が早まり、いよいよ窯の温度を本格的に上げていく時間に移ります。この頃にもなると炎は強くなり、当番の職人たちは薪を投げ入れるにも返り火の熱さで顔が赤く焼け、大汗をかいていました。真夜中、職人たちは煌々と燃える炎を見つめながら、酒を片手に世間話や焼物談義に花を咲かせます。疲労と眠気を感じつつも、登り窯の周りは心地良い一体感で包まれていました。夜が明けてくると、黒々とした煙が大川内山の空に立ち込めているのに気がつきます。煙突から真っ赤な炎が上がりながらもなお薪入れは続き、火入れからおよそ32時間、窯から取り出した小さな焼き上がりの見本を確認し、とうとう窯焚きは無事に終わりを迎えました。
 今回は登り窯の前後の工程も取材しましたが、ひとつの磁器が完成するまでの気が遠くなるほどの労力を間近で見れたことで、焼物という産物の本質的な尊さを身に沁みるほど感じました。と同時に、今日では技術の進歩によって焼物が容易に量産され自分の周りに溢れている事実にも驚きます。作品において、過程はどれだけ大切なものなのでしょうか。出来上がった結果に遜色が無いのであれば、原始的な手仕事に意味は見出だせないのでしょうか。2日間にわたって陶工たちと過ごした窯焚きの時間を思い返すと、その工程にはとてもつない価値があると思えてなりません。